「世間は怖いところだ」の思い込み
昨日は長女の小学校の卒業式でした。
どんどん大きくなってしまします。
嬉しいやら悲しいやら、複雑な気持ちになります。
私の中で、卒業式に感じるこのモヤモヤ…(‘w’)
なにか感情が泡立っていて、自ら感情の起伏を筋反射テストで文章を作文していくと
「純粋に育ってくれて嬉しい…(今のところ)」
だが
「この先、この純粋さが
世間に蝕まれていくのが
みてられない」
という観念があり「だから大きくなってほしくない」という思考パターンがありました。
この根底には「中学校は良くないところだ」「中学校は怖いところだ」という観念も深い部分で当たり前のようにあり、
大袈裟にいうと
【 猛獣のウヨウヨいる柵の中に我が子を放り込む】
ような感覚で「なんとか危害を受けないようにしたい」という自分勝手な不安を膨らませてしまうのでした。
💧だよねーって感じでしたが
その後の通勤途中も、
- やたら信号で引っかかる、
- 暴走車がいる、
- セブンイレブンで入れたてのコーヒーをひっくり返す、
- 院内では紅茶の粉を手を滑らせて床にぶち撒ける、
など、
見事に現象が乱れてる…ということで、
改めて自分をチェックしてみると、シレッと反転しているのでした(´Д`)」
痛みなどの身体的不調はでてないので氣づきにくパターンで、
そーっと反転しているのでした。
強いストレスの浮上の反応です。
自分の「中学校にあがったばかりのころ」の思い出?に引っかかっています。
自分でいうのもなんですが、私の小学校のころは、周囲に恵まれていたというのもあり、純粋そのもので(親もある意味奔放に=ほったらかし)
素のままでも友達関係で悩んだことがなかったのですが
中学校に上がっての「わずか数週間」で
とても深い人間不信 に陥ってしまったのでした。
私の時代は一学年が10クラスとかあり、まわりの小学校から中学にかき集められる状態でしたので、そりゃいろんな色の輩達があつまります。
かつて、人の良いアイヌが日本軍にいいように利用されたように、中学校で私も…
- 学級委員なども「推薦されたからがんばろ」って思ってましたが、単にみんなやりたくない役割を「あいつにやらせとけ」みたいな押し付けられたり
- 体育の時、「寒いからジャージの上、貸して」っていわれて「寒いんだね!いいよ!」って貸して、真冬に半袖短パンで体育を受けてたり(笑われてるとも知らずに)
- 女子に告白風に「髙橋くんのこと好きです」といわれ、普通に「あそう、ぼくも好きだよ」というと、陰からみんなが見ていて「ひっかかった」と嘲笑されたりと(残酷な遊びですよね(´Д`)」)
などなど、まさに「正直ものがバカを見る」を目の当たりにさせられて、
「人ってこんなに嘘つくんだ」「人って陰でいろんなこというんだ」というカルチャーショックでぐうの音も出ないのでした。一気に人付き合いが怖くなって引きこもったのでした。
このトラウマ自体はすでに攻略済み(のつもり)ではあったものの、
「我が子も同じような
目に遭うのでは…」
という非常に強い「恐怖 不安 猜疑心」の妄想が巨大化したのでした。
こどもを心配 = 親の問題
皆さん、似たような想いがあるかと思います。臨床上でも多いです。
自分が苦労したこと、嫌だったことを「子供には体験させたくない」
ということで先回りして障害を排除しようとしてしまう。
- 運動や遊びなど「ケガをするから」と止めたり。
- 忘れ物しないように、親が毎日かばんをチェックしたり。
- 行きたい進路を「将来(経済的・世間的に)困るからと止めたり。
- 行きたい学校を「あなたはこのぐらいの学校がちょうどいい」と口をだしたり。
よくいう「勉強しないと将来困るわよ」といって
やりたくもない勉強をやらせるなども
自分の経験を子供に当てはめてるだけです。当たり前にやってますよね(´Д`)」
〇〇しないと、酷い目にあう
という呪い…
完全に親側の思い込みなのですが「こどものため」という大義名分でこの呪いが成立してしまうのです。
『親心』といえば聞こえはいいですが「実は自分のため」というのを認めなければなりません。(悩む子供をみて、自分が悲しみたくないから)
大概、子供側はありがた迷惑で、内心「まいったな」というのが実情です。
非常に強いストレスとなっています。
親子といえで全く別の人格の一人の人間です。
自分とは違うことを忘れてはいけません。
自分の体験を投影してるだけ
私の例にもどると「中学校の在り方」「人間関係の難しさ」「いじめ問題」など、
すごく壮大な問題なように見えますが 、課題はやはり自分にあり、
「中学校とは怖いところだ」という思い込み
これを、親の方が解放してしまえば、
この子供への心配自体 消えます。
子供への心配は、
親側の
自分の不幸な物語に
子供を無理やり出演させる
ことで起こります。
親側が自分の体験による思い込み「世間とはこういうものだ」を書き換えることで、子供への無意識の強要が軽減またはなくなります。
子供を本当の意味で自由にできます。
大切なのは「見守る力」…わかっちゃいるけど
児童心理学などでもよく言われる、
親にできる一番大事なことは、
先回りして問題を消すことではなく
子どもが問題を乗り越えるのを見守ること
です。
…んー・・わかる…非常にわかるのですが、
なかなか、その境地までいけませんよね(´Д`)」
- ・少しの失敗
- ・少しのケンカ
- ・少しの悔しさ
これらは、子どもの人生にとってとても大事な栄養です。
どうしても必要です。
ただ、急激で強大なトラブルで打ちひしがれるより、
まろやかに体験できるといいですね。
そして心が傷つく体験をしたとしても、ずっと引き摺らないで、貴重な体験として糧にできるように、アフターケアが大事です。
こじらすと高齢になるまで引き摺り自分を縛るケースに発展することも多いです。
親ができる最高のサポート

経験からアドバイスは当然オッケーですが、それを受けて
子供がそのアドバイスを採用するかしないかは子供次第。
これはマスト。
そして、子どもが困ったときに、
- 「どうしたらいいと思う?」
- 「あなたはどうしたい?」
問いかけに持っていって考える機会を与えるクセをつけるとベターでしょう。
子どもが自分の人生を生きる力を育てていきます。










