※コチラのブログの学説・メカニズムは、まだエビデンスが完璧に証明されていないもの、私見も含んでいます。あくまで参考までにして下さい。
目 次 【 押すと ジャンプ します 】
なぜ、腹が立つ?
人がイラッとくる時…
ざっくり言うと、
「自分の期待通りに
相手が動いてくれない」
時、ですね。
自分が正しい!から始まる
人それぞれ、
自分独自の自分のルール(価値観・観念)
がそれぞれあります。
それに、
背いてる人を見た時…
その自分ルールに従ってくれない時…
つまり、
自分の期待通りに動いてくれない時、
人は イラッ💢 っとします。
- 「夫はもっと家事をすべきだ」
- 「仕事中は雑談すべきではない」
- 「挨拶は絶対すべきだ」
- 「風邪くらいで仕事を休むべきではない」
- 「妻は夫を立てるべきだ」
男とは、こうあるべき、子供とはこうあるべき、主人とは、上司とは、仕事とは…
役割に対する「こうあるべき」や
「こういう時は普通こうするでしょ!」みたいなもの…「そんな言い方、フツーしないでしょ⁈」みたいな言葉のチョイスまで
あげればキリがないですが、
その人それぞれ、
自分の中だけの【独自の法律】みたいなものがあります。
みんな、【自分の法律】が
『絶対に正しい!』と思い込んでますので、自分以外の他の考えが許せなかったりします。
規模は違いますが、戦争ってこうして起きます。
この【自分の法律】=価値観 が
その人その人の個性となります。
これらは、 みんなそれぞれ、違います。
似たものを持っている人もいますが、
一人として一緒の人間はいません。
これが、『価値観』の違いです。
この【真理 】を
まずは
しっかり腑に落とすことです。
※【真理】…永遠不変の正しい道理。
怒り=私に従え!
自分の価値観で生活していると、とても心地いいものです。自分のルールで生きられるので。
そこに、自分の価値観と違う行動をする人が現れると、
自分の常識と違う行動をするのでイラッときて
「は💢この人、
なんで、そんなことするの」
となります。
![](http://levelzero.biz/wp-content/uploads/2023/09/IMG_8155.jpeg)
そして自分のルールに従わせようとしてしまいます。これは、価値観の押し付けです。
この、無意識に思わず口から出る
「なんで💢」は、
ほんとに不毛なセリフです(´Д`)
「なんで💢」と言われても理由はない
よくある「ふつーはこうするでしょ💢!」も自分の価値観ではそうでしょうが、
相手はそうじゃないのです。
「普通、誕生日はケーキでしょ」って言われても、相手はそうとは限らないのです。
「なんでケーキ買ってこない!」
「ふつー誕生日なんだから買ってくるでしょ」
相手からしたら「なんで」と言われても理由はないです。
相手の価値観に「誕生日=ケーキ」というロジックがないので。
なんで⁈
理解できない⁈
理由を言いなさいよ⁈
って言われても困るのです。
(昔の彼女によく言われたなぁ(´Д`)」)
例え聞いても理解できないはずです。
「あーなるほどね、そう言う事ならわかるわー」
とは絶対なりません。
相手は 意味ないと思ってるから、やらないだけ。
人から言われて変わらないのです。
「なんで💢」は不毛な問いです。
振り返ってみて下さい。
パートナーや子供さんに、よく言ってませんか?
頭の中で、
「なんで、あの人は…💢」
「なんで、私はいつも…💢」
みたいな独り言がグルグルしてませんか?
「なんで💢」には
自分の中で答えが出ないので、
ず〜っと、頭の中でリプレイしてしまいます。
「なんで、あの人はこうなんだ」
「なんで、何回も言ってるのにわからないんだ」
💦寝れないですよね(´Д`)」
そして、こういった
『腑に落ちない系』『腹立つ系』のストレス感情は、
【胃】や【肝臓】の動きをストップさせてしまいす。
- 慢性的な胃腸の不調
- 鼻・のどの不調
- 肩こり(胃は左、肝臓は右)
- 左の足、股関節・ヒザ関節の不調
などが代表的なサインです。
『なんで』を禁止してみよう
まずこの『なんで💢』という言葉を使うこと自体、控えてみましょう。
『なんで』のかわりに
『何ができるだろ』
『どうしたら、もっと良くなるだろう』
などに変えてみます。
『なんで』は、どこまでも他責のセリフです。責めてるだけ(´Д`)」
『何ができるだろう』は自分で できる行動です。(※答えをは出さなくていいです。自分に「問いかけるだけ」。あとは【脳】がやってくれます)
他人は変えられないけど、自分は変われる ってやつですね(´ω`)
人とは“わかりあわなくて“オッケー
いちいち、
自分がしてほしいように
してくれなかったことに、
めくじらをたてるということは、
相手を認めてない、愛してないってことです。
『みんな自分ルール・価値観が違う』
この【真理】は変えられないので、
相手に自分のルールを押し付ける、
「わからせる」のはやめて(というか絶対できない)【真理】に従います。
なので、
お互いのルールを
「わからせる」「同意させる」
のではなく「受け入れる」が正解です。
「あーあなたは、こうなんですね。私はこうなんです。」
相手の価値観を否定せず、
自分の価値観も否定しない。
![](http://levelzero.biz/wp-content/uploads/2020/10/a79e6151ba897e57618aa5ca9cda6959.jpg)
もし、共同生活の中で、
本当に なおしてほしい、
やってほしいことがあったら、
「やってほしい」
って言えばいいのです。
「やってほしい」という形で伝えると、
相手としては、
自分ルールにない価値を感じないことも、
「まあ、頼まれたなら、やってあげるか」と、お互い歩み寄れます。
それを
「なんで、やってくれないの!」
「ふつーやるでしょ!」
(お前が間違ってる💢)
って言われると 反発したくなりますよね。
自分の価値観を踏み躙られると感じるので。
人の器が試される
人間、しっかりと
『怒り』と、どう向き合うことができるかで、成長度合いが変わります。
腹が立ったことを、
他人のせい、環境のせいにしてると、
何も進歩しません。
そのままです。
相手との関係性や状況も
ピクリとも 変わりません。
まず【真理】に従い…
相手の独自ルールを受け入れて、
自分の価値観の押し付けはやめる
期待している自分に気づいてやめる
▼
受容できる人が増える。
人として寛容に、器がデカくなる
▼
すると、
「怒り」自体が発生しない
▼
自分も楽(´ω`) 周りも楽(´ω`)
※ただ、あまりに深い傷の記憶があって、
『この人を受け入れるくらいなら、
死んだほうがマシだ💢』
というくらい、凄まじいトラウマがあると、なおさらに身体に抵抗が出ることがあります。
幼少期・青年期の母親との関係でとても多いです。
この場合も時間をかけて、その周辺の感情を少しづつ解放し、外堀から埋めていく作業が必要だったりします。
まずは、自分を知ることが先決です。お手伝いできますので、ご利用下さい▼
けど、それはそれでよくて、
「へーあなたは、そういう世界で生きてるんですね」「私はこうなんです」はそのままでいいのです。
※これは「諦め」ではなく、相手を(考えを)大事にする ということです