※コチラのブログの学説・メカニズムは、まだエビデンスが完璧に証明されていないもの、私見も含んでいます。あくまで参考までにして下さい。
目 次 【 押すと ジャンプ します 】
なぜ、腹が立つ?
人がイラッとくる時…
ざっくり言うと、
「自分の期待通りに
相手が動いてくれない」
時、ですね。
自分が正しい!から始まる
人それぞれ、
自分独自の自分のルール(価値観・観念)
がそれぞれあります。
それに、
背いてる人を見た時…
その自分ルールに従ってくれない時…
つまり、
自分の期待通りに動いてくれない時、
人は イラッ💢 っとします。
- 「夫はもっと家事をすべきだ」
- 「仕事中は雑談すべきではない」
- 「挨拶は絶対すべきだ」
- 「風邪くらいで仕事を休むべきではない」
- 「妻は夫を立てるべきだ」
男とは、こうあるべき、子供とはこうあるべき、主人とは、上司とは、仕事とは…
役割に対する「こうあるべき」や
「こういう時は普通こうするでしょ!」みたいなもの…「そんな言い方、フツーしないでしょ⁈」みたいな言葉のチョイスまで
あげればキリがないですが、
その人それぞれ、
自分の中だけの【独自の法律】みたいなものがあります。
みんな、【自分の法律】が
『絶対に正しい!』と思い込んでますので、自分以外の他の考えが許せなかったりします。
規模は違いますが、戦争ってこうして起きます。
この【自分の法律】=価値観 が
その人その人の個性となります。
これらは、 みんなそれぞれ、違います。
似たものを持っている人もいますが、
一人として一緒の人間はいません。
これが、『価値観』の違いです。
この【真理 】を
まずは
しっかり腑に落とすことです。
※【真理】…永遠不変の正しい道理。
怒り=私に従え!
自分の価値観で生活していると、とても心地いいものです。自分のルールで生きられるので。
そこに、自分の価値観と違う行動をする人が現れると、
自分の常識と違う行動をするのでイラッときて
「は💢この人、
なんで、そんなことするの」
となります。
そして自分のルールに従わせようとしてしまいます。これは、価値観の押し付けです。
この、無意識に思わず口から出る
「なんで💢」は、
ほんとに不毛なセリフです(´Д`)
「なんで💢」と言われても理由はない
よくある「ふつーはこうするでしょ💢!」も自分の価値観ではそうでしょうが、
相手はそうじゃないのです。
「普通、誕生日はケーキでしょ」って言われても、相手はそうとは限らないのです。
「なんでケーキ買ってこない!」
「ふつー誕生日なんだから買ってくるでしょ」
相手からしたら「なんで」と言われても理由はないです。
相手の価値観に「誕生日=ケーキ」というロジックがないので。
なんで⁈
理解できない⁈
理由を言いなさいよ⁈
って言われても困るのです。
(昔の彼女によく言われたなぁ(´Д`)」)
例え聞いても理解できないはずです。
「あーなるほどね、そう言う事ならわかるわー」
とは絶対なりません。
相手は 意味ないと思ってるから、やらないだけ。
人から言われて変わらないのです。
「なんで💢」は不毛な問いです。
振り返ってみて下さい。
パートナーや子供さんに、よく言ってませんか?
頭の中で、
「なんで、あの人は…💢」
「なんで、私はいつも…💢」
みたいな独り言がグルグルしてませんか?
「なんで💢」には
自分の中で答えが出ないので、
ず〜っと、頭の中でリプレイしてしまいます。
「なんで、あの人はこうなんだ」
「なんで、何回も言ってるのにわからないんだ」
💦寝れないですよね(´Д`)」
そして、こういった
『腑に落ちない系』『腹立つ系』のストレス感情は、
【胃】や【肝臓】の動きをストップさせてしまいす。
- 慢性的な胃腸の不調
- 鼻・のどの不調
- 肩こり(胃は左、肝臓は右)
- 左の足、股関節・ヒザ関節の不調
などが代表的なサインです。
『なんで』を禁止してみよう
まずこの『なんで💢』という言葉を使うこと自体、控えてみましょう。
『なんで』のかわりに
『何ができるだろ』
『どうしたら、もっと良くなるだろう』
などに変えてみます。
『なんで』は、どこまでも他責のセリフです。責めてるだけ(´Д`)」
『何ができるだろう』は自分で できる行動です。(※答えをは出さなくていいです。自分に「問いかけるだけ」。あとは【脳】がやってくれます)
他人は変えられないけど、自分は変われる ってやつですね(´ω`)
人とは“わかりあわなくて“オッケー
いちいち、
自分がしてほしいように
してくれなかったことに、
めくじらをたてるということは、
相手を認めてない、愛してないってことです。
『みんな自分ルール・価値観が違う』
この【真理】は変えられないので、
相手に自分のルールを押し付ける、
「わからせる」のはやめて(というか絶対できない)【真理】に従います。
なので、
お互いのルールを
「わからせる」「同意させる」
のではなく「受け入れる」が正解です。
「あーあなたは、こうなんですね。私はこうなんです。」
相手の価値観を否定せず、
自分の価値観も否定しない。
もし、共同生活の中で、
本当に なおしてほしい、
やってほしいことがあったら、
「やってほしい」
って言えばいいのです。
「やってほしい」という形で伝えると、
相手としては、
自分ルールにない価値を感じないことも、
「まあ、頼まれたなら、やってあげるか」と、お互い歩み寄れます。
それを
「なんで、やってくれないの!」
「ふつーやるでしょ!」
(お前が間違ってる💢)
って言われると 反発したくなりますよね。
自分の価値観を踏み躙られると感じるので。
人の器が試される
人間、しっかりと
『怒り』と、どう向き合うことができるかで、成長度合いが変わります。
腹が立ったことを、
他人のせい、環境のせいにしてると、
何も進歩しません。
そのままです。
相手との関係性や状況も
ピクリとも 変わりません。
まず【真理】に従い…
相手の独自ルールを受け入れて、
自分の価値観の押し付けはやめる
期待している自分に気づいてやめる
▼
受容できる人が増える。
人として寛容に、器がデカくなる
▼
すると、
「怒り」自体が発生しない
▼
自分も楽(´ω`) 周りも楽(´ω`)
※ただ、あまりに深い傷の記憶があって、
『この人を受け入れるくらいなら、
死んだほうがマシだ💢』
というくらい、凄まじいトラウマがあると、なおさらに身体に抵抗が出ることがあります。
幼少期・青年期の母親との関係でとても多いです。
この場合も時間をかけて、その周辺の感情を少しづつ解放し、外堀から埋めていく作業が必要だったりします。
まずは、自分を知ることが先決です。お手伝いできますので、ご利用下さい▼
けど、それはそれでよくて、
「へーあなたは、そういう世界で生きてるんですね」「私はこうなんです」はそのままでいいのです。
※これは「諦め」ではなく、相手を(考えを)大事にする ということです